2025/04/01

ルービックキューブの欠片

「なんでそうなっているかはわからないけれど唯"そう"としか言いようのないもの」


道端にルービックキューブの欠片が落ちていた。


なんで?


普通であればルービックキューブは道に落ちていないし、破片は尚更落ちてい(てはなら)なくて。普通に解けなくなる。というより頂点の四角が取れると基本崩壊する。ので”一個だけ落ちている” 理由がとても不可解なことになる...ような気がします。

私の住んでいる街には落し物がたくさんあります。これは半分嘘で、私の住んでいる街にはポイ捨てがたくさんあります。缶・ペットボトル・煙草はN, 手袋・BB弾はR, 本・マフラー・バナナはSR、ステンレスフォークSSR。そして今回、UR排出、ルービックキューブの破片。すごい。

落ちている物には、そこに至るまでの道程が存在します。今のところ道端に物品は自然発生しません。ので、私は色々想像するのが好きです。置かれた場所と姿勢と劣化とかから、道程を勝手に作ります。どんな人物像かもにゃもにゃ想像します。そして勝手に満足します。できるだけコンテクストに合わないものだと助かります。机にフォークはあるけれど道端にはあんまり無くて、水面にはもっと無いです。そんな中ルービックキューブの破片。意味不明です。道程が全然想像できない。そもそも外でカチャカチャやるものではあんまりないし、ぶっ壊れたら普通に気づくので落としようがないはずのものです。

色々と想像しますが、納得のいく状況が出来上がりません。

なので想像をやめました。

こういうのはただの趣味なのでやめたくなったらすぐやめられるのはいいところです。人に迷惑もかけないので。

そして実際、ものごと全てに因果を括り付けているのは私の勝手なことです。マフラーを鞄から落としてしまったのかは分からないし、そもそも落としたのかもわからないのです。干していたのが飛んできたのかも。そこで編みあがってしまったのかも。そしてそのどれでも良いのです。いや、事実はきっとあるのですが、それは本質ではないので私は捨てて良いのです。私の中で閉じていれば。

比較的専門性が高く局所性のある言葉を脈絡なく短時間の間に見つけてしまったとき、同じような形をすぐとなりで見つけてしまったとき。なんとなくなにかを考えそうになることがあって、すぐにそれをやめるよう努力することがあります。意識的に"理由"を捨てようとします。なにかをなにかだと謂うことをボカします。

作品にはコンセプトがあることがあります。ないこともあります。そして私たちはそれを汲み取れると思い込むことができます。できないこともあります。

キャプションに書かれたことを見て納得した気になれることがあります。作者名を見て納得した気になれることがあります。解題を読んで納得した気になれることがあります。考察を読んで納得した気になれることがあります。説明を聞いて納得した気になれることがあります。想像をして納得した気になれることがあります。制作をして納得した気になれることがあります。それを外したくて、なんとかならないかなって、言葉を消すことがあります。言葉を話さないで伝わるものは「言葉を話さないで伝わるもの」そのもので、それでも言葉の綺麗さに悩んでしまうことばかりで。世界って綺麗ですね。

「どうしようもなく唯"そう"としか言いようのないもの」がサラッと唯在って。揺らぎながらそこに居ることがあって。そういう風に出来ているとうれしいです。クリアも説明もない、全てが連関と因果で納得可能で、でもそうすることすら不要と思える。

人生みたいですね。



あとそういえば要約って納得に似てますね。